日本カミソリの歴史

法具として大陸から伝わったカミソリ

日本にカミソリが伝わったのは、欽明天皇(第29代)の治世の538年とされています。 もともと仏教と同じ時期に、僧侶が厳しい戒律のもとに、剃髪 つまり、「髪を剃る」法具として伝わりました。「髪剃り」の名前も髪を剃ることが由来です。

この「髪剃り」は、鍛鉄製の刃物で、刃が薄く平らで、きっさきがありません。髪を剃るのは僧侶のみで、そのほかの男性の理髪は、毛抜きを使って毛髪を抜いていました。戦国時代になって、僧侶だけでなく、武士階級にも髪を剃る習慣が生まれました。 男子は月代(さかやき)を剃り、女子は眉や襟足の手入れにカミソリを用いたそうです。

一般人として初めてレザーを使用したと言われているのは、戦国武将の織田信長でありポルトガル文明と一緒に海をわたってきた折り畳み式の西洋レザーを使ったそうです。江戸時代には日本刀の技術が生かされた片刃の和カミソリが、ひげ剃り道具として一般化しました。西洋カミソリ(レザー)が入ってきたのは、明治の文明開化以降のことです。

カミソリは大変高価な道具でしたので一般のいわゆる庶民が手にするのは近代といっていいでしょう。

大阪府堺市役所編の『刃物産業史』を見ると、秀吉の時代に、堺の綾之町中浜という所 に、手名長兵衛という人が、カミソリを作ることがたいへん上手であったことが残されています。
江戸時代に入ると、堺はカミソリ、包丁などの製造で全国的に堺刃物の名をとどろかせます。

しかしその後、堺は衰退し、美濃の関(現在の岐阜県関市)にカミソリの生産高を譲ることとなります。関は、中世から備前の長船と競い合った名刀の生産地でしたが、江戸時代になってからは、刀の需要が激減したので、カミソリ、包丁、ノコギリ、カマなどの生産地になっていました。また、この内のほか、播州三木(現在の兵庫県三木市)も、源平の頃から刀や武具の生産がはじまり、江戸時代からは堺の異常な発達に刺激を受け、農機具、大工道具の生産をして発展する一方で、カミソリも生産しました。この刃物生産の伝統は戦後も続くほどでした。

このほか、越後三条(新潟県三条市)も、江戸時代初期から、農機具、ノコギリをはじめ、カミソリ、はさみなどを生産し、三条鍛冶としてその名が知られました。
明治時代に入ると、レザーが外国からもたらされ、大正時代には国産品のレザーも生産されるようになり、しだいに日本カミソリは姿を消し、レザーの輸入と生産は、東京が中心となっていくこととなります。