「インジェクター」の誕生と替刃革命

西洋カミソリの歴史でも書いたとおり、現在まで続く「安全カミソリ」の原型が誕生したのは1762年。20世紀に入ってキング・C・ジレットが替刃式の安全カミソリを開発し、以降その技術は瞬く間に進化を遂げました。 今回は画期的な「替刃交換」の仕組みを搭載したSCHICK(シック)の名品「インジェクター」と、その替刃自体の素材の変化についてご紹介します。

目次

片刃で連発式?! シック・インジェクターの出現

現在も根強い人気を誇るSCHICK(シック)の名品「インジェクター」は、1921年、アメリカの退役軍人ジェイコブ・シックの手によって、そのモデルが考案されました。

このときに作られた試作品は、従来の両刃のカミソリを片刃にし、しかも古くなって切れ味の落ちた刃を、刃に直接触ることなく連発式に替えることができるもので、画期的な安全カミソリの出現でした。インジェクターの出現により、替刃の安全性が高まったのはもちろん、携帯にも便利で機能的であったため、世界中に急速に普及していきました。第二次大戦後の、輸入自由化により1960年代、SCHICK(シック)は日本国内にも進出し、「インジェクター」は、当時主流だった「両刃」安全カミソリのジレットのシェアを上回り、国内トップを誇るようになっていきます。

余談ですが、このジェイコブ・シックは、インジェクターと並んで実は電気カミソリの開発者でもあります。現在の「ウェット・シェービング」「ドライ・シェービング」双方の主力製品を開発したシックは、キング・C・ジレットに匹敵するカミソリの発明家と言って間違いないと思います。

ステンレス替刃は理想の替刃

インジェクター誕生後は、安全カミソリは、両刃とインジェクターの二つのタイプが主流となって普及していきました。当時の替刃はどちらのタイプも長きにわたって、カーボン(炭素鋼)刃が使われていました。

ところが替刃に大革命が起こります。ステンレス替刃の登場です。

カーボン替刃は、切れ味がよい代わりに、水に濡れるとサビやすいのが難点で、濡れたまま放置するとたちまちサビつき、そのため使えなくなるケースが少なくありませんでした。
日本のような高温・多湿の風土では、 特に錆びつきやすく、ろくに使わないうちに刃が錆びるという問題は、各メーカーともになかなか解消することができませんでした。

イギリスのウィルキンソンが発表したステンレス替刃は、難問の「サビ」を解消してヨーロッパを中心に急速な広まりを見せて、カーボンで作成していた世界の最大手ジレットも、追随を余儀なくされました。サビにくい上に、刃に樹脂コーティングがされているため、切れ味が鋭いのに皮膚へのあたりも柔らかいという、二つの相反する条件を満たした替刃だったのです。さらに、切れ味が持続するという利点も備え、刃物としては理想に近いところまで改善されたといっても過言ではないしょう。以降、替刃の主流は、カーボン替刃に代わって、ステンレス替刃の全盛時代を迎えます。

日本に定着した「ステンレス・シック」

前述の通り、日本の風土はカミソリの刃にとって厳しい環境で、長持ちしないと言われていました。「インジェクター」を擁して日本国内で積極的な営業活動を行っていたSCHICK(シック)は、革命的なステンレス替刃をすぐに前面に押し出して「ステンレスといえばシック」というイメージの定着を図ります。

まずは当時は利用者の多かった両刃のステンレス替刃を戦略商品として、1965年には「ステンレスの時代到来」をアピールするために、両刃ステンレスの替刃の試供品を350万枚無料配布するという大々的なプロモ―ションを実施。「ステンレス・シック」のネーミングとともに日本国内に定着していきました。当時のテレビCMでも、15人の理容師が登場してステンレス替刃の耐久性を推奨するなど、まだ珍しかった説明型の手法を取り入れて話題となりました。

世界では最大シェアを持ちながら、日本国内でジレットが躍進できなかった理由の一つには、この段階でのカーボン替刃への固執があったと言われます。販売戦略上の柔軟性の欠如はその後のジレットに大きな後遺症を残すことになりました。

この記事を書いた人

master-noriのアバター master-nori カミソリ倶楽部

カミソリ屋4代目。
幼少時代、家族旅行が刃物工場巡りで職人さんのモノ造りの素晴らしさに感銘。カミソリメーカー、ハサミメーカー、包丁、爪のニッパー屋さんと見学させて頂きました。特に印象だったのが刀鍛冶!フイゴで鉄を熱しながら叩く姿は「美」。カミソリの替刃の原料である工場見学で大きな鋼がロール状になるのにも驚きました。
髭とカミソリに関する知識ならお任せください、他、僕の趣味もアップします。

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