
僕とカミソリ家系 プロローグ 1、我が家のカミソリルーツ
僕とカミソリ家系
プロローグ
敢えて「私」を僕とします、そのほうが自分らしいのです!
昭和48年生まれの僕、カミソリ屋の4代目として千駄ヶ谷に生まれました
先日税理士の久米先生とお会いして色々なお話をしたところ「ノリオキさん、
52歳でカミソリという1つの稼業をしてきて様々なメーカー、そして刃の製造メーカーとも携わっているんだったら残した方がいいですよ!」といただいたんです
「1つのメーカーに就職した訳でなく色々なメーカーに実際に訪れたり携わったりしているので聴きたい方もいらっしゃると思います、実際にメディアなどにも出演されましたよね?すごく専門特化されたアナリストです!残り、後何十年生きると考えてもほぼ生まれてから継承されたカミソリ人生で考えると残せますよ」
とのお言葉をいただき僕は今までの経験を記事にします
1、我が家のカミソリルーツ
僕の祖母の稼業はカミソリ屋!
東京神田でカミソリの柄(ハンドル部分)を製造していたそうです
祖父は長野県上田市で生糸工場の家系
カミソリの屋号は鈴木徳右衛門さんの名前をとって「鈴徳安全剃刀」
当時のハンドルがあればいいのですが無いんです
廃業した理由は当時戦時下で鉄などの鋼材は全て武器にする為で
材料が無くなったからだそうです
カミソリ製造業はここで敢えなく断念・・・
でもカミソリ屋は続くのです!
ここで祖父のお話
祖父は上田から生糸の勉強を兼ねて高崎から横浜にいました
暫くして海外から輸入されてくる繊維業をみていて今後は難しくなると思い、
浅草橋にある刃物問屋(今でもございます両岡商店さん)に丁稚奉公として働いたそうです
そこで取引先である「鈴徳安全剃刀」の娘さん(祖母)と出会い、結婚。
ここから海外カミソリメーカーを日本一にまで育てるとは思ってもないと思います
製造業から問屋業ではなくメーカー以上のメーカー代理店(カミソリ屋)の始まりです
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